ブルネイの地勢
ブルネイの地勢を見ていきましょう。
ブルネイは東南アジアのカリマンタン島の北西の海岸部に位置していて、マレーシア領のリンバン川流域が国土を二分しています。
このように国土が二分されている状態を飛び地と言います。飛び地はエクスクラーションともいいます。世界の代表的な飛び地として見れば、アメリカ合衆国本土とアラスカの関係が飛び地です。その他には、ロシアのロシア本土とカリー二ングラードが飛び地です。東ティモールも飛び地を持っています。

ブルネイの気候
気候を見てみましょう。
ブルネイの気候は全土が熱帯雨林気候です。年間を通して高温多雨の気候を示しています。雨季と乾季の明瞭な区別はほとんどありません。特に10月から1月および4月から5月に雨が多くなるようです。6月から9月は基本的に少ないですが、それでも世界的な平均よりもだいぶ多い降水量が見られます。

首都はバンダル・スリ・ブガワンです。人口はおよそ1万4千人程度。バンダルスリブガワンの1月は26.9℃、7月は27.6℃です。気温の年較差は0.7°cですので気温の変動はほとんどないと考えて良いです。
平均気温は27.5℃、降水量は3123 mmです。
ブルネイダルサラーム国は、熱帯雨林で森林面積割合が非常に高い国です。ブルネイの森林面積割合は72%もあります。国土面積5765平方キロメートルで、三重県とほぼ同等の面積です。人口密度は43.4人が住んでいます。ブルネイダルサラーム国の「ダルサラーム」というのは平和な土地という意味があります。
ブルネイの略史
ブルネイの略史についてお話をします。
ブルネイは古くから東南アジアの交易国家でした。14世紀末イスラム教に改宗した方が初代スルタンとなります。
ヨーロッパ諸国のアジア進出で領土が縮小し、1888年イギリスと保護協定を結び、外交をイギリスが担当することとなりました。1906年イギリスの保護国となりました。第二次世界大戦中は日本が占領しましたが1959年イギリスと協定を締結。憲法を制定し、内政の自治を回復します。1962年に議会選挙で多数派となったブルネイ人民党を中心とする反乱が起きましたが、これを鎮圧。1971年イギリスと協定を改定し外交軍事以外の独立性を獲得します。そして1984年完全に独立し同年 ASEAN に加盟します。
ブルネイの経済
ブルネイの経済についてお話をします。
ブルネイは石油と天然ガスが主要資源でこれが貴重な外貨獲得源となっています。実は日本は最大の貿易相手国となっています。原油の埋蔵量は1.5億トンと言われており天然ガスの埋蔵量は2700億立方メートルと言われています。
アジアでも有数の高所得を享受しています。エネルギー資源に過度に依存する体制から脱却を図るため経済の多様化を目指しています。
また石油・天然ガスを燃料とするメタノールなどの生産に力も入れています。
食料品のほとんどを輸入しています。GDP成長率は金融危機で資源価格が下落08年09年とマイナス成長となりました。2016年2017年は0.4%、0.5%の成長率を見せました。消費者物価上昇率は2016年はマイナス0.7%2017年はマイナス0.1%でした。
ブルネイは産業別人口構成見てみると一次産業就業者割合というのが0.6%と非常に低いです。ということなので農業やっている人や水産業やっている人や林業やっている人というのがそれほど多くいるわけではないです。そのためブルネイの輸入品目を見てみるとやはり食料品の輸入っていうのが非常に多くなっています。一方でどのようなものを輸出しているかと言うとやはり液化天然ガスこれが前輸出額の49.7%を占めていて、原油これが全輸出額に対する39.7%、要するに液化天然ガス LNG (Liquid Natural Gas) と原油を合わせて、ほぼ9割、これが輸出の総額の占めているということとなります。
ブルネイの社会
ブルネイの社会を見てみましょう
ブルネイの社会を見てみると一人当たり国民総所得は32860ドルとなっていますので、東南アジアの中でもかなり水準の高い国として知られています。
言語はマレー語です。ブルネイの言葉はブルネイ語というのもあるんですけども、マレー語とほぼ90%以上の語彙が一致するので、ほとんどマレー語と考えて良いです。
宗教は8割がイスラム教を信仰しているということです。

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