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北方領土問題

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北海道地方
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北方領土は、4つの島からなる日本の固有の領土です。

第二次世界大戦後、
ソビエト連邦に占領されました。

ソ連の解体後は、
ロシア連邦に引き継がれています。

日本は北方領土はもともと日本の領土であるとして、
ロシア連邦に返還を求めています。

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日本とロシアとの国境の歴史と北方領土

択捉島探検

近藤重蔵が現在の北方領土を探検し、
北方四島を日本の領土として取り込みました。

日露和親条約

1854年の日露和親条約で、
千島列島の南半分(択捉島以南)は日本のものとなり、
北半分(ウルップ島以北)はロシアのものとなりました。

樺太島は、日露両国民が住むこととなりました。

樺太千島交換条約

1875年、ロシアの首都ペテルブルクにおいて、
両国の代表が「樺太千島交換条約」に調印しました。

日本の代表は榎本武揚(えのもとたてあき)
こうして、日本は千島列島をすべて手に入れ
樺太はロシアが手に入れることとなりました。

ポーツマス条約

1910年、日露戦争の講和条約として、
仲裁国のアメリカのポーツマスで条約が結ばれました。

日本の代表は小村寿太郎(こむらじゅたろう)
こうして、樺太の南半分は、
日本のものとなりました。

第二次世界大戦

ソ連が日本の降伏後のどさくさに紛れて、
樺太・千島列島を占領しました。

サンフランシスコ平和条約

日本は樺太・千島列島を放棄することを明記しました。
日本は千島列島には北方領土は含まれていないと
解釈しています。

 

日ソ共同宣言

日本は国連に加入するために、ソ連の賛成が必要でした。
鳩山一郎内閣の重光外務大臣がソ連との交渉に当たりました。

北方領土の返還を要求したため、
ソ連は拒否します。

その後、首相の鳩山一郎が、
全権大使としてモスクワへ乗り込み、
ソ連首相のブルガーニンと日ソ共同宣言が調印されました。

二島返還論の根拠
当時のソ連の書記長・フルシチョフは、
日露平和条約が結ばれたら歯舞諸島と色丹島の返還をすると
鳩山首相に約束しました。これが二島返還論の根拠です。

 

 

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構成する四島

  • 択捉島(えとろふとう)
  • 国後島(くなしりとう)
  • 色丹島(しこたんとう)
  • 歯舞諸島(はぼまいしょとう)
歯舞諸島は諸島なので、
複数の島から成り立っているため、
厳密には四島ではない

人口

およそ1万4千人とみられる。

面積

北方四島の合計面積は5036平方km。

 

 

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